式内 木梨神社
Contents
概 要
現社号 木梨神社
読み:こなし
江戸時代は「藤田大明神」「聖九社大明神」
延喜式神名帳 式内社 播磨国賀茂郡 木梨神社
読み:コナシ
所在地 兵庫県加東市藤田473
旧地名 播磨国賀茂郡
御祭神
主祭神 八十枉津日神(やそまがつひのかみ)
配祀神 大直日神(おおなおびのかみ) 神直日神(かみ-) 底津少童神(そこつわだつみのかみ) 中津少童神(なかつ-) 表津少童神(うわつ-) 底筒之男神(そこつつのおのかみ) 中筒之男神(なかつ-) 表筒之男神(うわつ-)
例祭日 10月第1日曜日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
山陽道 式内社140座 大16(うち預月次新嘗4)・小124
播磨国(ハリマ) 式内社50座(大7座・小43座)
賀茂郡(カモ) 8座(並小)
近代社格制度 旧郷社
創建 崇神天皇の代
本殿様式 流造檜皮葺
境内摂末社(祭神)
愛宕社、八幡社、恵比寿社 市杵社、藤田三郎太夫、金毘羅社、大歳社、皇大神宮
一口メモ
県道17号線藤田交差点のすぐ東から中国自動車道の下を参道がまっすぐ延びる。
歴史・由緒等
八十枉津日神(やそまがつひのかみ)
禍(マガ)は災厄、ツは「の」、ヒは神霊の意味であるので、マガツヒは災厄の神という意味になる。神産みで、黄泉から帰ったイザナギが禊を行って黄泉の穢れを祓ったときに生まれた神で、『古事記』では八十禍津日神(やそまがつひのかみ)と大禍津日神(おほまがつひのかみ)の二神、『日本書紀』第五段第六の一書では八十枉津日神(やそまがつひのかみ)と枉津日神(まがつひのかみ)としている。
由 緒
10代崇神天皇の時、物部八十手(もののべのやそで)がこの地に、八十枉津日神を祀りのち、将軍彦坐命が丹波の賊を征伐した時、当地において神託があり神社を創建されたといわれている。
また、木梨軽太子(こなしかるのみこ)が神前に幣帛を捧げられた因縁から、社号を木梨神社と呼ぶようになったといわれている。
60代醍醐天皇(平安時代)の時、将軍多田満仲公がこの里に大池(多田池)を築造され、同時に満仲公によって再建された由緒ある神社で、延喜式(えんぎしき)の神名帳(じんみょうちょう)に記載された式内社であり、天皇の勅使参向の官社であった。
のち、この大池に大蛇が住むようになり、藤田三郎太夫行安(だゆうゆきやす)が当社に祈願して、これを退治した伝説は有名である。
その後、藤田明神とも聖九社明神とも呼ばれたことがあり、明治6年(1873)11月郷社格に加列され、大正8年(1916)2月神饌幣帛料供進神社に指定される。
-「兵庫県神社庁」-
境内・社叢
社叢・鳥居 社号標
社頭掲示板
狛犬
手水鉢 能舞台
割拝殿(絵馬殿)
拝殿 拝殿掲示板
本殿 本殿左境内社 愛宕社、八幡社、恵比寿社
本殿左境内社 大歳神社 本殿右境内社 市杵社、藤田三郎太夫
本殿奥ご神木と金毘羅神社 藤田三郎太夫 皇大神宮
地名・地誌
地 図
交通アクセス
公共 神姫バス「社営業所」より三田行き「藤田東バス停」下車徒歩3分
交通・車 中国道「滝野社IC」から国道175号を南へ県道西脇・三田線を東へ約3km
駐車場 あり(20台)
周辺情報・ホームページ
参 考
「兵庫県神社庁」、「延喜式神社の調査」さん、他
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